2002年9月 29日日曜日
pm 17:03
そんで、まあ、なんとか10月のコンテンツ作りも大体終了だと思いたい。
失恋して、自殺を考えています。
(19歳女性OL)
まず、女性のようであるからして、死んだと思って、相手のいない独身男性のために、躰を貸しなさい。
そういうボランティア精神が大事である。
(すげえ話)
いや、なんつうのかな…
「あとくされのない関係」を望む人は多いと思うのだ。
で、失恋による挫折という「心の死」はいくらでも取りもどせるが、肉体の死については、復活は不可能である。
そんで、いわゆる輪廻転生、何度も生まれ変わるって理屈は、もちろん、死後の世界はありえないわけで、それが指し示しているのは、精神のことであろう。もちろん、魂は存在しない。これも、古くの人々は、精神というものは、脳味噌による活動による産物であるという認識がなかったわけである。
「我思う。ゆえに、我あり」
いわゆるデカルトなのだが、そこから導き出されるのは、精神活動の所在であって、魂の存在ではないのである。
その相関関係は、脳味噌の機能を知ることで得られるわけである。
話が飛んだので、もどす。
これは、いわゆる坂口安吾の「堕落論」にも通じるのだが、落ちるところまで落ちると、本来の自己のあるべき姿を再認識するだけの距離が得られるわけである。
でも、自己のあるべき姿を再認識する、つまり、客観視するために、わざわざ身の破滅を選択する必要はない。
そんで、いわゆる「禅」についての、自己を無にする… というのも、同様である。
そんで、輪廻転生トリックの出どころも見えてくると思うのだが…
そんなことはどうでもよい。
いずれにしろ、行なうべき行為は、自己の再認識にあるわけである。
そして、求めるものは、自分も別のなにかに必要とされているということであろう。
社会的な位置関係の再確認も含む。
そんで、目的意識を持たせるということで、かつての悲劇的な状況からの離脱を手にするというのが、パターンであるわけである。
だから、あらかじめ、解決方法のパターンはできあがっている。
ゆえに、もっと悩みを与えることにしよう。
まず、第1に、社会的な位置関係の認識と役割を見出すという行為は、そもそもの自己に対する本質的な問題を解決するということではない。それから、自己のアイデンティティーを捨て去り、社会に同化するということである。
悩み始めたね?
第2に、悩みというものは、あらかじめ答えが用意されているその答えについて、それを行なうか、行なわないかについてが対象となる。
ゆえに、答えを求めるというよりも、そもそも死を望む傾向があるということである。
だから、悩むべき対象は、この場合失恋であるわけだが、そもそも、失恋で悩んでいるというよりも、死に対しての欲望の方が問題となっているわけである。
おそらく、これまでの人生の中で、死についての美、もしくは、それを肯定するような「定義」を植えつけられたものであろう。もしくは、そういう暗示である。
これは、宗教の罪であろう。
そう、霊であるとか、輪廻であるとか… そういったウソが。
まあ、自殺を禁止する宗教もあるわけだが。
そんで、歴史についても、死の美を讃えるものが多い。
で、まあ、その美については、ナンセンスである。
その死に値する状況というものは、当該の環境において付帯するものである。
その状況を享有しない、アカの他人(共産主義者ではない)にはわかりようもないわけで、盛りあがっている本人にとっては、その他者との距離が悲劇を盛りあげるわけである。
そこで、前述の自己の客観視が登場するわけである。
まあ、いいや。
だから、その…
まあ、とりあえず、人間ダッチとしての…
(むちゃくちゃ)
なし
なし
そんで、マスコミは、ヤバいことになって来たということで、小泉の経済に関する失政から目をそむける目的で、北朝鮮に対しての外交のことだけに集中させようという手を用いている。
そんで、まあ、お馴染のインチキ調査なのだが、フジテレビのサンプルがいくつなのかと、どういう名簿なのかは相変わらず不明の支持率は70%だそうだ。
そんで、いつから小泉は平和外交やったんだろう?
行く前は、たしか、北朝鮮の工作船の話をやたらアピールしていたんじゃなかろうか?
それを平和外交にしたのは私で、世界はそっちを評価しているのだ。
なんかよくわからんパクりである。
で、もちろん、マスコミがいじくろうとしているコースは、こじらせるコースであるわけだ。
で、その支持率は平和外交についてなのか、それとも戦争をふっかけることについてなのか?
そこんところ考えてコメントして欲しいものだ。世界各国の首脳は。
きちんと足かせをはめておかないと、調子に乗って交戦論に持って行くぜ?
特に、アルカイダ・フジテレビが。
そんで、日本のマスコミは、自分等がヤバいことになってくると、日本国内をパニックに陥れようと企てるのである。
ノストラダムス然り、2000年問題然り、金融ビッグバン然り、銀行然り、狂牛病然り。
数え上げるとキリがない。
そんで、日本経済はそのヒステリックな報道のせいでかなり盛り下げられて来たわけである。
なのに、マスコミにとって都合のいいことだけは、盛りあげにかかる、小泉とか。政策は森内閣と一緒なのにだ。
意味不明なのだ。
だもんで、銀行への公的資金投入についての報道扱いなんかに、大きな矛盾が発生している。
支離滅裂なのだ。
だから、我々のすべきことは、具体名をあげて、「こら、お前だ。フジテレビ」のように、ハッキリ問題を指摘することにある。
そうしないと、連中の反省したフリをするための道具、スケープゴートとして、利用されるだけであるからだ。
実に、姑息な連中なのだが、未だにわけのわかっていないのが多い。