2002年9月 5日木曜日

am 10:00

実は、これは天声人語で、昨日に引き続いて、海外と比較しての日本人の街でのマナーに書くので、それはつまり、入試に出題されるということなので、きちんとチェックしよう。
海外に行って驚かされるのは…(中略)
するとたちまち拍手はおこり、すばらしいコラムであると教師はほめたたえ、ぜひとも読むようにと生徒に言う。
ようこそ。
ここはトイレではない。
トイレは向日のほうだ。
ああ、だから、角の方に奥に続く廊下があるだろ?
ああ、こっからでもよく見えるよ、あのトイレのマークの方に行けば、トイレだ。




このコーナーは、現在進行する地球の温暖化を解決せんがために、科学的に考察するコーナーである。

で、エコロジーについて少々。
うちは、「ええ心持の自慰」の話(ジョンソンベビーオイルがいいぞ)はしても、エコロジーの話はしない主義なのだ。
なんせその…
私は「科学は自然を征服する」という1800年代のパッションを盛っていて、しかも、それが理性であると確信しているし、同時に、人間には魄なんてものも、精神世界というものもなく、人間は単なる物体であり、蛋白質による機械であると考えている。ゆえに、人間の作るものも物体である。人間は神が土から作ったものであるというヨタを前提として考える気がないわけである。
ゆえに、土から出てきた鉄、アルミを空き缶の形にしても、そもそもの石と同じ働きに戻るということだと考えている。
神は存在せず、精神世界も、神秘もそこにはない。
だから、古代アミニズム信仰よろしく、自然を神格化して考えないのである。ゆえに、人間も自然の中に含まれる。
人間の行ないも自然とみなすわけである。
寄せては返す波は、自然のうちに存在する砂浜を破壊する。

重要なのは、神との和解と再契約をするということではなく、「単に死なないようにする」ということである。
そこんとこ気をつけよう。
だから、神の存在し得る領域というのは、人間が知り得ない、まだ知らない領域にあるわけである。
かつて、開明されていない自然は神として扱われて来た。
それはなにかというと、目の前で展開されている現象について、なんらかの理由を欲したからである。
しかし、原始時代、当時科学は発展していなかったわけである。
そこで、人間は神を発明する必要があった。
ゆえに、傾向として、説明できない項目について神を導入する傾向が現われる。
ゆえに、未知の領域にあるわけだ。
或る種の微分法のようなものである。
そして、そんなことは、限りなくゼロになっていくわけである。
それから、物体から精神は作られるが、精神から物体は作り得ない。
このことからも神は存在し得ないことは証明できる。

私は、そもそも、無神論、無宗教である。
で、布教活動が許されるならば、否定も許されて当然であると考えている。
元にするのは「思想、良心の自由」である。
で、公明党なんかは、「信教の自由」を元に言いがかりを着けて来たりするわけだが、そんなものは相手にしていない。
ゆえに、聖教新聞で、池田大作のクサレが俺に便乗するのが不快でたまらないわけである。
そんなところである。
そんで、小泉のいうところの「哲学」とやらがいかなるものなのか知りたいところである。
こっちのやっているのは、科学的な存在論である。



なし




なし




そんで、nxtである。
今度、環境変数N0〜N9に好きなような設定を書き込めるようにしようかと思うのだ。
で、n0@ とか、-n9 のようにして、それを呼び出すというわけである。
nxt 3.1でのe@ や-eが妙に便利だったので、自分の好きなコマンドの省略系を設定できるようにした方が便利かな、と。
まあ、rmbkってサンプルにも示したように、バッチファイル… じゃなかった… 小さい、汎用性のあるシェルスクリプトを用意しておく方法もあるのだが。
大体、自分のホームディレクトリのところにあるbinディレクトリにはパスが通っているものであるからして、それを有効に使ってみるのもいいと思う。
実は、この文章もnxtを使っているのだ。
nxt yuga -eyuga.html rmbk .-q
なんてなことをするのである。
うむ。
多分、Mac OS Xでも使えると思いたいところだが、おそらく、Macには予めemacsは用意していないだろうなあ…
それから、そんなにxtermのようなものを使う人はいないだろうし。
まあ、いいや。
Power PC欲しさから、Mac買うかも知れない。
もちろん、そのときには、OSはMac OS XとLinux PPCとか、Yellow Dog Linuxとかである。