2002年11月 日月曜日曜日

am 10:25

そんで、私は忙しい。なんせ、今日は仕事があるのだ。
そんで、明日からは、新コーナーの「おならぷう子」が始まる。
まあ、早い話がコントである。
毎週gimpでマンガ描くのは面倒だしね。




と、いうわけで、ロックの話なのだが、なんせ、最近、このOfficial Webにかかりきりで、ロック方面から遠ざかっているのである。
練習もしていないし。
なんせ、器材もない。
そして、雑誌も読んでいないし、つけているラジオは、歌謡曲が聞きたくないって理由でJ-Waveだし。
日本の放送局は、許認可制度なもんで、アメリカのように自由ではないのだ。
アメリカなら、自由だから、ロック専門のラジオ局なんかうじゃうじゃあるのだが。
で、伊藤正則ものぐらいなのだが、最近、妙にいばっていて、本当に、ロックの王国の王様のつもりのようである。
Kill the Kingとは言わないまでも、かなりのおしつけはたまらん。
で、さりげなくアニメタルで復活のアンセムがアルバムを出していたりするわけだ。
で、うちはメタルは聞いて、カバーはしても、メタルではないので、やらない。
だって、面倒だし、自由度が低い。
っていうか、オルガン弾きたいじゃん? やっぱ。奇数ビートで。
で、変態ベースでウネウネさせて、そこに難解なギターが入るわけだ。
で、時にはメロトロンの洪水も入れるわけである。
メロトロンというのは、今でいうサンプラーのようなもので、鍵板がついていて、それを弾くと、テープが回って、オーケストラのストリングスなんかを再生するわけである。
この音が実にいい。
アナログのテープディレイと並んで、いい音である。
それはいいとして、じゃあ、今日はメロトロンの話にしよう。
メロトロンといえば、King Crimsonの「クリムゾンキングの宮殿」のエピタフであるとか、タイトル曲が有名だろう。
それから、ジェネシスのナッサリークライムの"Fountain of salmasys"(スペルはこれでいいのかどうか忘れた)なんかのどわあーんはいい。
それから、Purumiata forneria marconi、いわゆる、PFMの、"World became the world"にも代表的なメロトロンが入っている。
Led Zeppelinの「聖なる館」にもメロトロンが入っている。
と、いうわけで、今日の一曲は、
やっぱ、Genesis "Fountain of salmasis"だね。




なし




なし




人格関数f(x)を定義する。
そこにシチュエーション x を代入して得られる想像れたシミュレーション実験の結果を表示していく…
ゆえに、そこにあるのは、エピソードばかりである。
で、そのシミュレーション実験の中から心の琴線に触れるものがあった場合、「共感」ということになる。
その多くは、これまでの人生経験において、同様の苦痛などの記憶と照合するものである。
これをグラフ化すると、同一の曲線によって得られるピークになる。ただ、傾きについては、どれだけ乗せるかによってことなる。
新しい文学理論である。
で、純文学というのは、客の興味のことを考えないようである。
ゆえに、本当に、実験結果が書かれているわけだ。
それも、作者の脳味噌というステージにおいての実験結果である。
だから、その世界においての因果律は、作者の人生観における優先順位によって定まる。
必ず結ばれる二人であるとか、そういったものだ。
これを心理分析するならば、もちろん、そういう願望があるということになるわけだが。
だから、そもそも小説にリアリティを求めるというのは、無理なのだ。
会話においても、作者の望むところ結果があらかじめ出るようになっていて、現実の世界のように、解釈の違いで食い違うとか、勘違いをするとかといったことがない。
実は、この食い違いこそがドラマを作る要因になっているのだが。
だもんで、登場人物は、実は、作者なのである。
全て同一人物が口調を変えただけなのだ。
いや、そう断言もできないかな。
ある程度、人格関数を意識して書いているならば。
しかし、作者の人間というフィルターを通した上での解釈であるからして、当然、作者の解釈の影響下にあるわけである。
と、いうわけで、今週のVinyでは現代文学の作品がいくつか登場するのであった。