2002年7月 18日木曜日

pm 20:31
そんで、永六助の「商人」って本を読んだのだが、モロにテープだ。
タイトルに偽り為しである。




Web name「Eddie KNK」

「本人が言うのも、なんだが、別に犯罪をしろとは言わないが、なんか目立った行動をしないと、客も、本人も飽きるぞ」

本人からのメールである。
だもんで、そうだな…
そろそろ、世界の有名物理学メーリングリストとか、有名学者に対して宣伝を行っていくってのもいいかな…




(このコーナーは連続Web小説。ストーリーはその場で適当に考えて行くというもの)

そこで目が覚めた。
5時15分。

つづく



と、いうわけで、世界の有名物理学サイトやメーリングリストに登場しようキャンペーンをして行くことになった。
結果などは次回以降。


そんで、その…
最高速度は80分1冊ってところまで行ったのだ。
それは雑学の本であり、「商(あきんど)人」ではない。かなりスカスカだが。
まったく、いい商売しやがるぜ。自分の名前使って。
まったくのタレント本である。
読んでて腹が立って来た。
こんなもんに「日本語が云々」とか言われたくないものである。

で、おそらく、TBS方面の信者がうるさくからんで来そうだが…
どうでもいいや。別に。

そんで…
まだまだ読書スピードが遅いのである。
そんで、読む本が無くなって来たのである。
まあ、いい加減に読んでいるんだから、読み返せばいいのだが。
そう、ただ目を通しているだけで、頭に入っているとは限らないのだ。
そんでも、まあ、速読が身に付いたら、かなり役に立つ「芸」にはなるだろう。
そして、さりげなく、頭良さそうに見える。
そこがいいのである。
そう、ギミックである。
世の中、一見難しそうなことをやっているように見せても、実は、タネと仕掛けがあるものである。
タネと仕掛けがわからないから、「おお! す、すっげー!」って思える。
と、信じたいものである。(な、なんじゃそりは)

そういや、昔の時代劇には、ノーズシャドーの入った用心棒の先生ってのが出ていたものである。
名前は誰も知らないが、実は結構売れっ子で、どこの時代劇にも、そのノーズシャドーの入った「先生」が出ていた。
「先生! お願いします」
なんて言うと、出て来て、刀を持っているってのに、ほとんど素手の主人公にてぬぐいでバシッとやられるとか、主人公の侍に、ズバッっと斬られてしまうわけだ。
その「先生」の位置付けも、ギミックが含まれているわけである。
「タネと仕掛け」である。
だから、政治家も、自分らの仲間を呼ぶときには、「○○先生」と先生で呼ぶ。
そうすると、一見ものすごく偉い人に見えるわけだが、もちろん、憲法にもきちんと書かれているように、単なる一般人である。
「タネと仕掛け」であり、早い話しが、「だまし」である。
で、その… 「風潮」であるとか、「雰囲気」であるとか、「空気」であるとか、「シチュエーション」であるとかにひっかかる人が結構ある。
実は、これも催眠の一種なのだ。
「プラセボ」としてもいいが。
私なんかは、その逆に、あたかもロクでもないことをしているかのように「見せる」という「ダマシ」を受けているのだが。
その変をうやむやにせざるを得ない状況が連中にはある。
単にそれだけだが、そんなダマシは、2、3の事実を指摘するだけで、このようにひっくり返せるのである。
だから、一時期小泉今日子が、なにかのクリエーター、イノベーター、アーティストであるかのような雰囲気を作り出していたものだが、実際には、週刊プレイボーイの「アイドル・セクシーショット」の如くに、ただドベッっと寝転がっていただけのようなものである。
だから、「どこがヌードなわけ?」のセミ・ヌードであるとか、「その手を離せ!」の「ここまで頑張りました」写真なんかと近いようで、実は遠い。
なんのこっちゃ。
だから、本人はなんにもしていないのである。
(本人が作曲していない「アーティスト」がどれだけいることか!)

だから、教訓としては、「やい! そこの女! その手を離せ!」ではなく、「王様は裸だ!」ってことである。
だから、乙葉は今すぐに、その手を離さなくてはならない。
まだ手で「ここまで頑張りました」までは行ってないが。