2002年3月 24日 土曜日

 午後 12:43



今日のなぜなに大講座

どうして、「ひかるの碁」には、碁盤のアップのシーンがないの?
おそらく、知らんからだろう。

その辺が、「哲也」との違いだな。

マジな話、ワールド・スタンダードのチェスの方がかっこいいぞ。
「ルイ・ロペス」、「キングス・ギャンビット」、「バッテリー」、「フィアンケット」、「カロカン防御」、「アリョーヒン防御」・・・ 陣形と手筋の名前の列挙だが、これ以上ある。
これらの陣形と、その対応を把握しておくだけでも、人生に役立つことが多い。
 ウイルヘルム・シュタイニッツの攻めなんかは、私の論文に活かされているくらいだ。
 そのシュタイニッツの攻めというのは、何かというと、一見意味不明に見える攻めは、後から見ると、きちんとチェックメイトするために忠実に行われていた手筋である・・・ というようなこと。
 私がチェスに興味を持ったのは、レイモンド・チャンドラーの小説だ。
 もちろん、フィリップ・マーローだ。
 そこに、マーロウが、チェスの本を片手に、とっくの昔に死んでいるシュタイニッツ相手に苦戦するシーンがある。
 そこから興味を持った。
 マイク・ハマーよりも、マーロー派だな、私は。
 特に好きなのは、high window か・・・
 ただ、面倒くさがって、コーヒーをパーコレーターで沸かすのはいかんよな。
 で、かく言う私はコンピューター相手のチェスでは勝ったことがない。
 なんせ、コンピューターのチェスは、ミスをしないのだ。
 常に最善手を考えるのだ。
 時間をかければ、かけるだけ、より一層の最善手を見つけ出す。
 だが、碁よりも、チェスの方が面白い。
 それはハッキリしている。
 そのチェスのロマンを表しているのが、「ギャンビット」である。
 この「ギャンビット」こそが、「ギャンブル」の語源なのだ。
 そして、将棋と比較すると、チェスの方がはるかに難しい。
 なぜなら、チェスには引き分けがあるからだ。
 一番腹が立つのが、「ステイル・メイト」だ。
 完璧に攻めないと、攻め切れなかったことが原因で引き分けにさせられてしまう。
 それが実に数学的な美しさがあるのだ。
 ゆえに、チェスは、数学によく出てくる。
 実のところ、プログラムにおいてもだ。
 有名なのが「8クイーン」だろう。

 そう、チェスには、「美」があるのだ。
 いくつかのエチュードをやってみると、それがわかるだろう。
 それは、数学的な「美」にも通じるのだ。

 そんで、「ひかるの碁」においては、シーンにおいて、台詞として、そういったものが出てくるが、盤面には現れていない・・・ っていうか、盤面がない。
 しかし、シュタイニッツの攻めの「美」はデータがしっかり残っていて、それがよくわかる。
 その辺は、チェスの本であるとか、チェスのサイトを見てみよう。
 そんで、チェスは、将棋よりも、金が儲かる。
 そんで、残念なことに、人間がディープ・ブルーに負けたのだ。
 うむ・・・
 だが、しかし、完全手は見つかっていない。
 だから、コンピューターに勝つことは出来る。
 将棋だと、相手の駒が使える分だけ楽(反則だと思うのだが)だし、まあ、その結果として、完全手はかなりシミュレートしないと見つからないだろう。
 だが、チェスの方がより頭を使うことは言うまでもない。

 なんの話だかわからないままパート2へと続く。