2002年3月 9日 土曜日
午後 21:49
この現代においては、神様なんてものがいると思っているのは、相当なアホか、宗教キチガイ(「キチガイ」は放送禁止用語で、「釣りキチ三平」の「キチ」はなんの略か? によって、あまり語られなくなったことのおおよその推測はつくだろう)か、精神異常者であろう。
そして、同時に、「思考」、「思考活動」および、「精神」、「精神活動」なるものは、脳の働きによるものであり、精神世界、および魂なるものが存在し、そこで行われているものではないということは、実に当たり前のことであると理解していることだろう。
そのことの事実に簡単な確認方法といえば、ロボトミー手術でも受けてみることであろう。
その辺、OKかな?
ようするに、脳の切除手術でも受けてみれば、「精神」および、「魂」ってものは、脳のはたきによるものだってのは当たり前の真ん中のコーマンの毛の事実だってことである。
その事実から、その事実を元にして、私のアインシュタインの否定のロジックはスタートするわけだ。
それは「実存主義数学」における「実存主義的数論」のパートに現れている。
それは「実存の優先順位の原則」の定義にも現れている。
つまり、物体、および、存在が先に「あり」(「存在する」)、解釈はその次だという、原則だ。
もし、そうではないのであれば、あらかじめすべてのデータが頭の中に入っていなければならないのだ。
それは現在も、過去も、未来の一切のすべてのデータだ。
だから、たとえば、今聞いたと仮定するティラノ・サウルス・レックスがかつて存在していたというデータについてもだ。
あらかじめ知っていなければならないのだ。
今初耳であってもだ。
そんなことはありえない。
その事実は、私の論文の中にも出てくる「時間の非存在証明」にも関係する。
つまり、時間というのは、「運動」解釈におけるひとつの構成要素であるということだ。
だから・・・ わかるかな・・・
今、初耳のことであっても、あらかじめ知っていなければならないということは、「時間」というものの性質に反することなのだ。
(I'm gonna give you yer thinking time)
ね? そうでしょ?
つまり、「精神世界」なんてものは存在しないという事実に立って、それを基にして、ロジックを展開するわけだ。
これはマテアリアリズム、唯物理論にも通じるわけだが、私はあえて「プログレッシブ実存主義」と定義している。
これは、実のところ、精神世界をtrueとした前提に立つプログレッシブロック(最も顕著なのは"Yes"だ)と反するところなのだが、Beast Machine Experimentsはプログレッシブ・ロックだ。
それはいいとして・・・
と、いうわけで、まあ、俺は身体障害者なわけだ。
で、これで困るヤツがいるとしたら、「生き神様」現象を解明されては困るようなロクでもないヤツらなわけだ。
非科学的で、実に愚かしい。
だもんで、小渕のクサレは、天皇がらみの祭りみたいなことをやらかし、元Xの数少ない生き残りの、妙に政治くさいやつ(誰とは言わんが)とかが、それに出演したりしたわけだ。
やたらからむ安室(小室)とかも。(ライジングプロの政治献金ネタ参照のこと)
まあ、いいか。いい機会だ。
Hideがよくわからない自殺をして、Toshiが主教がらみで消えて、ベーシストは何回か変わって、なんだかよくわからない生き残りがYoshikiなわけだが、コイツはやたら政治がらみの場に登場するのだ。
で、外道の小泉のクサレは、Xの曲をかける。
話がわき道にそれてしまった。
かつて、天皇は日本では「生き神様」として扱われていた。
だもんで、俺のまわりでは妙に天皇嫌いが多かった。
だが、まあ、事実は実に単純なわけだ。
1991年に、俺が東京写真専門学校に行っていたときに、その近くに日本テレビがあった。で、ときたま、その学校のスタジオで、ダウンタウンの番組とかを録画していたんだが、そのときから、人権侵害行為はスタートしている。
だもんで、ダウンタウンは今でもごまかしをやっている。
「ごっつええかんじ」を切られ、頭を丸坊主にしても、俺の人権は回復していないので、まるで意味をなさない。
そんで、1993年,1994年に、フジと、週刊現代に、「こういうひどい人権侵害を受けた」って手紙と、いくつかのネタを書いて送ったのだ。
ある種のシェア・ウエアとして。
そこの中には今のK-1と同じもの(俺は「キック・ボクシング」と書いていたが)と、ポスト・ビートたけしとしては、SMAPだろう・・・ というネタ(それもイギリスから出て来たビートルズに対抗して出て来た、アメリカでのMonkyesの例をまじえてだ。つまりは、テレビ番組をやらせて、本人はネタを考えずに、スタッフが考えるという「ツクリモノ」システムのことだ)のネタも含まれていた。
だから、そもそもは「サル」ってのは、俺のことを指していないのだ。
その辺の勘違いは多いが。
俺に「モンキーズ」まあ、日本語では「サル」だが、それをやらそうと企んだわけだ。
その辺の誘いについては、1994年の「目覚ましテレビ」でもチェックすればわかるだろう。
それから、1995年のなんだかよくわからないタイミングで泣く八木亜希子とか。
それから、その当時わざとらしいタイミングで起きたオウムの上祐とその婚約者のネタとか。
それらは、俺が天皇の代用品となることを拒否したから、抹殺しようと企んだことだが。
長い戦いなんだよ。
マジに。
これが俗に言う歪曲ごまかしでおなじみの「失われた10年」だ。
一番最初のころは、日テレで「質実剛健コンテスト」みたいなものをやっていたわけだ。
そんで、その辺の「誘い」と「抹殺」は、その後ループ化して、パターンになっている。
この辺ハショってるが、おおよその事情はわかったことだろう。
この辺の歴史年表、および、当時の記憶と比較して欲しい。
ちなみに、nxtのMS-DOSバージョンは、1993年当たりにASCIIに送っている。
話を戻そう。
宗教がらみ、政治がらみの汚職が含まれているのだ。
だから、存在しないことにしたがったわけだ。
だもんで、小泉はこじつけで、田中真紀子が結局正しかった鈴木宗男の件を、政府見解で、「そんな事実はない」ことにしていたわけだ。
その辺のこじつけの傾向には同調すべきではない。
俺が負けていたならば、おそらくはすべての人々はマスコミによる思想操作にあい、洗脳され、マスコミによる支配を受けていただろうから。
そんで、事実は単純明快で、俺は身体障害なのだ。
そんで、精神異常に該当するのは、幻聴の聞こえる者で、俺はその症状は一切ない。
今更、ジーザス・クライストの手口が解明されても、なにも困らないだろう。
特に、日本においては。
あなたは神を信じますか?
だまされて、身包み脱がされて持っていかれるだけだ。
なんせ、聖書にもそう書かれている。
「すべて差し出せ」と。
金持ちは、らくだが針の穴を通ることよりも難しいくらいに、天国にいけない理由は、貧乏人が払う金よりも、結果としてレートが低いからだったりする。
基本的に、仏教も同じで、散々よくわからないもので脅しつけて、金を巻き上げている。
そんで、幽霊がビビッて退散する「教え」と称する「お経」にはなにが書かれているのかというと、「教え」なんか何一つ書いていなくて、釈迦がいかに立派で、これを信じればどう幸せなのか具体的なことを何ひとつ言わずに、まくし立てているだけなのだ。
催眠は昔からあったのだ。
ウソだと思うなら、読んでみりゃいいさ。
ためになるようなことが書いているかい?
あるとしても、実にプリミティブな形態の法規がそこにあるだけだろう。
十戒のように。
基本的に、宗教なんてそんなもんだぜ?
そんなもので人生を台無しにするな。
マジな話。
俺だって、「信じないものは地獄に落ちる。お布施をよこせ」とか言って、宗教ビジネスできるわけだが、大嫌いなんだよな、そういうのが。
神は明らかに存在しないのだ。
だから、科学で証明できないものはないのだ。
なんせ、最もプリミティブな科学では、当時の知りえる情報においては現象の説明がつかなかったがために、あらゆる物が「神」と定義されていたのだ。
今では「植物」である、「木」だって、「神」として定義されていたんだから。
説明のつかないものを「神」として定義していたのだ。
だから、人類の未知の領域に神の存在しえる領域があるのだ。
これはTrueになるテーゼだ。
そんで、当たり前の事実として、人類の叡智はこれからも蓄積される。
つまりは、「未知の領域は限りなくゼロに近づく」ことになる。
もしくは、そう遠くはない日に、人類はすべてを解明するだろう。
実のところ、ここ100年くらいのことなのだ。
この劇的な発展は。
だから、そう遠くはないだろう・・・ と思うのだ。
それは、「神の存在しえる領域はなくなる」ということでもあるのだ。
俺は正しい。
人類が知り得ない、知ることが出来ない領域は存在しないのだ。
ゆえに、神は明らかに存在しない。
俺がおかしいかな?
この現在においても、神を信じるヤツはキチガイだ。
俺は障害者だ。
それが事実で、神様とやらのインチキをまだ信じているアホが困るだけだ。
俺はいたって正常だぜ?
どこか違うかい?
少なくとも、俺には幻聴は聞こえない。
ゆえに、既に散々人権侵害行為をやらかしていて、責任追及されると困るマスコミとか、政治家とかのマネをする必要は何一つとしてないのだ。
それから、サルをやらせようとして、実際にサルをやっているのは、俺ではなく、SMAPなのだ。
モンキーズだ。
いまだに、その勘違いのシロウトが多くて困る。