2002年8月 14日水曜日
am 10:50
そんで、多分、8.17にはLive!をやらないだろう。
なんせ、つまらないからだ。
そして、からむところがゼロだし、ノリが違う。
それから、モーニング娘。には好みの女がいないし、ジャレたいと思わないのである。
っていうか、ファンは激怒すると思うのだが、つんくの好みは理解できない。
そんで、番組itselfの面白くなさについては、これまでにも述べて来ている通りであうわけだ。
で、本当に面白くない番組だからってことで、新曲で、よくわからない言いがかりをつけてきていたわけだが、相手にする気がないのだ。
で、まあ、早い話が、見てみりゃわかるだろう。
まったく面白くないのだ。
で、俺にはまるで関係の無いネタばかりである。
それから、やっぱり、キクエがいない。
(なんじゃそりゃ)
「これは、イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」に出てくる話なんだけど、ある宣教師がどうしてあなたは仏像を拝むのかと、聞いたそうだ。金や銅でできたものの中には神様はいない、と」
「ふむ」
「で、その人はこう答えた。もちろん、いない、と」
「へえ」
「で、それじゃあ、どうして拝んでいたのかと聞いたそうだ」
「ほう」
「で、チリを払って仏を見る、如何にって逆に聞いたそうだ」
「ふむ」
「で、わけわかんないでしょ?」
「うむ」
「で、宣教師は答えに困ったわけだ」
「ふむ」
「で、仏もまたちりって言ったんだってさ」
「ふむ」
「で、ここで、かつては、実に日本的で、奧深い、禅を感じる、含蓄のある話ってことになるわけだ」
「ふむ」
「でも、この現代においては、誰にしても、そんな話はまったくのナンセンスだと思うわけだ」
「うーむ」
「で、どうして、日本人がシュールを好むかわかるような気がしない?」
「どうして?」
「古池や、蛙飛びこむ水の音」
「?」
「それがどうしたってな情景描写なんだけど、これで、"うーん、奴も中々やりやがる。風流じゃねえかい、ひひひ"と言うわけだ」
「"ひひひ"は言わないでしょ」
「で、これも、いわゆる、「行間から汲み取れ」って奴で、本当はまったく分かってないのに、わかったような気分にならないとまずい雰囲気になるから、とりあえず、"うーん"と言ってみせるわけだ」
「はあ」
「で、それが"日本の心"ってヤツで、だもんで、"シュール"てものと相通じると思うのだ」
「そう?」
「いや、シュールであって、シュルレアリスムではないぜ?」
「へえ」
「まあ、そんなことはどうだっていいんだけど、思うに、我々は、もっと、「それはどうして?」であるとか、「それはわからない」ってはっきり言った方がいいと思うのだ」
「どうして?」
「どうしても」
「なんで?」
「いや、なんつうのかな、分かっていないのに、とにかくわかっていることを要求されることに応じてしまうってことによって、ナンセンスなものでも、ナンセンスだと気がついているのかどうかもわからないが、盲目的に従っているってことに」
「へえ」
「で、その例としては、なんだかよくわからない校則ってのもそうだ」
「なんか政治的な票集コメントのように思える展開だねえ」
「まあ、まあ。で、あれは、誰一人として、その理由を示すことができないのだ」
「は?」
「いや、頭パーマかけるのが悪いことだってのとか、そういうことの理由だ」
「はあ」
「どう思う?」
「知らない」
「だから、理由はわからないが、とにかく、そういうことになっているからってことで、誰もがわかったような気分で、そうするように要求しているわけだ」
「いや、なんかあるんじゃないの? パーマをかけることによって、犯罪的な傾向を持つという統計的なデータによる裏づけとか」
「あるわけないだろ、そんなもの」
「そうなの?」
「そう、よくわからないのだ」
「まあ、よくわからない」
「で、竹村健一がよくやるんだけど、高名なる人物の言葉を引用するんだよ。まあ、一種の「ゲーテいわく…」として」
「はあ?」
「いや、「ゲーテいわく…」って知ってる?」
「ゲーテがなんか言ってるってことでしょ?」
「まあ、近いんだけど…
要するに、なんでも格言めいたことを言うときに、頭に、「ゲーテいわく…」ってつけておけば、大抵のことは、ゲーテが言っているだろうってこと」
「そうなの」
「で、それはいいとして…
で、その引用なんだけど、ただ引用するだけなんだよね」
「どういうこと?」
「重要なのは、そのコメントに至るまでのロジックなのだが、そのコメントだけで、分かったような気分になるってこと」
「ははあ、ようするに、わからなくさせる目的でってこと?」
「微妙に違うんだけど…」
「あ、わかった。ボーン・イン・ザ・USAって曲が、アメリカ万歳かって思ったら、アメリカへの恨みつらみを歌ったものだってことに近い?」
「遠い」
「それじゃなに?」
「それがわからない」
「いや、あんたねえ…」
なし
そんで、広島市長が、どうしてよくわからない言いがかりをつけていたのか、なんとなくwかった。
で、公の場で、こちらの信用と名誉を棄損することを目的とした、演説を行なっていたと言うことで、これは或る種の民事に措ける「犯罪」であると判断し、ここで正式に報道を行なうことにした。
で、その経歴が問題なのだ。
これを見て欲しい。
で、これも、やっぱり、「政・官・財・そして、学の癒着」を表していると思うのだ。
そんで、まあ、事実方としては、論文を読めばわかるように、アインシュタインのいうような、時間を示すt軸を空間を構成するものとして含んで、しかも、それがローレンツ収縮を起こすと提議した場合、悪とよりも先に発見されている光のドップラー効果は、当然、空間が収縮するという説であるがゆえに、発生しない。
ところが、私の学説では、ドップラー効果が説明されるわけである。
そんで、もちろん、「哲学」を意味するのは、アインシュタインの実存しない四つ目の軸であろう。それから、重複する軸である非ユークリッドも。
だから、広島市長に読ませて、おもっきり赤面させてやりたく思うわけである。
読んだ上で発言している場合は、相当なバカである。
そんで、「怒り」について。
これは実に限られたケースなのだが、なんていうのかな、相手からよく分からない言いがかりをふっかけられて、その防衛のために腹を立てるってのは、もちろん、該当しないのだが、そういう話である。
そんで、ごく限られたケースにおいては、人はどういうときに腹を立てるかというと、もちろん、なんらかの腹を立てる理由があるからだ。
で、その要件ってのが、自らの存在にたいしてなんらかの危険、危機、エマージェンシー、緊急事態が発生したときだったりするわけである。
だから、ごく限られた場合なのだが、その時には、相手は怒りながら、攻撃対象に対して、自らの弱点を示しているのである。
こういうのは、実に追撃しやすい。
とくに、その攻撃者のロジックにいかなる論証も無い場合、つまりは、「それはどうしてですか?」「どうしても」ってケースなんかだと、楽である。
だから、根拠、論拠と」なるべきロジックを示すことができないまま、とにかく、自らの保身と、立場の防衛の目的で、緊急事態として、なんらかの言いがかりをつけようとする試みであるからだ、
ショーペン・ハウアーにもそういうパートがあったっけ。論駁の仕方のような。
それに近い。
「読書について」、「自殺について」などを読んでみることをお推めする。
で、注意しなくてはならないのは、この当時、精神世界、つまりは、魂が存在すると考えられていたという点である。これは、エマニュエル・カントについてお同様だ。
で、話を元に戻す。
そんで、基本的に、話というものは、自らが話をすることによって、相手に、同意を求める、もしくは、自分と同じ考えにさせるために行なう行為であると考えられる。
それは。「目的を実現するため」であるとも言えるわけだが、そこがポイントである。
だから、「相手がどこに持って行こうとしているのか」と、「その出発点」を考えるわけである。
だから、この返は、実にチェスのようなやりとりだったりするのだ。
だから、「うそから真実をみつける方法」にも近いものがある。
うそをつく目的は、真実から遠ざけることにある。
だから、sれによって手にする利益と、目的、出発点、いくつかの手懸りを元に推測していくわけである。
まあ、これも必ずしも成功するわけではない。或る種のうそには有効である。
そんなところかな。