2002年8月 13日火曜日
pm 20:12
私のところはお盆休みに入ったのである。
ピーチ・ミルク
用意するもの
桃の缶詰
牛乳
ガムシロップ、もしくはグラニュー糖
まず、桃の缶詰を開け、別の容器に移し換えて冷凍する。
それが凍ったら、それを取り出し、気分次第の分量の牛乳に入れて、ミキサーで混ぜる。
その時に、適当にガムシロップなどで、味を調整する。
注意する点としては、牛乳は、結構凝固しやすいものであるということ。だが、命には別状は無い。それというのも、牛乳というのは、胃の中で凝固するものだからだ。
だから、レモン汁を使った「レモンミルク」というものもあり、ドロドロ感を楽しむというものもある。
それと、今回は桃の缶詰を使用しているが、案外、味が薄いので、その辺は、まあ、色々調整して欲しい。
まあ、ラム酒(マイヤーズのような)を入れてみるという手もあるだろう。
なし
そんで、取材はしていないのだが、とある本(現代教養文庫 小田桐真 著「検証・テレビ報道の現場」)を読んでいる時に、偶然発見したことをここに書いておこう。
全然記憶に無かったのだが、安藤優子って、そもそも、ニュースステーションのチョイ役が始まりだったんだねえ。
で、都立日比谷高校から二年間留学して、そんで、上智に入って、在学中の1980年(1890年ではない)… ということは、今から22年前か… に、テレビ朝日の「世界は今」の”アシスタント”をやって、それから、ニュースステーションで、フィリピン革命などの”現地レポート”で評価を得て、そんで、なんかよくわからんが、現在に至る… ということのようである。
そんで、そもそも東京都民ではないので、「日比谷高校」ってのが、どういう位置(格?)にあるのか知らない。
この辺は、東京至上主義ってなものが色濃く反映されているわけだ。
東京の事に付いては、全国が当然のように知っている事であるという前提に立つわけであるが、「知るかそんなもの」って人が多いだろう。
そんなことはどうでもいい。
で、チョロっと留学しただけなのだが、前に、earとyearの発音の違いをなんかやたら自慢げに話していたのを覚えている。
そんで、最近では、高級まぐろに火を通す「家庭料理」を番組で紹介していた。
そんで、これまた本(伊藤緋紗子 著「パリが教えてくれること」)を読んでいてちょっと驚いたのだが、この本には中身がないのだ。
私は、てっきり、文化に関することかと思っていたのだが、なにやら、服はどういうものを着て、バッグは本来こうで、マナーはこうで… なんて話しばかりだったのだ。
で、読んでる最中に、「この人は、なんらかの現実逃避からこんな話をしているのだろうか?」と思ったくらいなのだ。
で、後ろの方を読んでいてわかったのだが、この文章は、そもそも、女性向けのファッション雑誌に書かれていたものだったようである。
うむ。
ようするに、東京の山の手地方にある趣味がそこに反映されているようである。
そんで、明らかに、酔っている。
で、その山の手「地方」のパリ好きってのは、こう… いつも思うのだが、加藤紀子ってのもいたが、なんか、どう言えばいいのかなあ…
「パリってのは、そんなに”うるさい”ところなのか?」
ってことである。
フランスの男は、ビール飲んで、テレビのサッカー中継見て、野郎、てめえ、なにしてやがんだと吠えるような、しっかりとキンタマのついた奴はいないのか? ってことでもある。
そう、おそらくは、こっちの方が現実であろう。
この幻想はどこから来るものなのだろうかというと、まあ、山の手地方の趣味が現れているわけだ。
よくわからんもんである。
で、その…
人生というものは、ある段階からは、ある種の牢獄に入るようなもので、中々抜け出す事のできない、死ぬ日まで続く苦役を、与えられた役を演じながらこなしていく宿命にあるわけだ。
もう、完全な一本道で。
女性は、おそらくは、死ぬまで、子供を養い、家事をするという宿命にかせられるわけである。
だから、まあ、与えられたシチュエーションにとことんまで酔い知れるコースを進む。
なんせ、子供の頃から、人形まで与えられる形で、その辺の思想教育を施されるからだ。
たとえ、それがナンセンスなことであっても、こう教えられる。
「自らの意志を持つべからず」と。
で、まあ、中身がないんだろう。
うむ。
で、人生をもう変えることができないからってことで、メロドラマなんかを見て、実現できない人生の宿命からの脱出の疑似体験をするのであろう。
だが、その反面、「人生とはかくあるべし」ってのが強い。
それは、自分に言い聞かせているからであろう。
それを意識する、しないを問わず。
で、「こんな阿呆らしいことやってられっかよ!」と言って、すべてを投げ出し、バイクに跨って旅に出る女の話でも書こうかと思ったわけであるが…
面倒なのでやめた。