2002年6月 17日月曜日

am 11:19

とあるメルマガに、
苦節4年、ようやくにして1.0。そして、nxtと違って管理がしっかりしている。ちなみに、nxtのバージョンは2.4.1で、SourceForge.jpからダウンロード可能。
なんてな文章が出ていて、ちょっとびっくし!

そんで・・・
mc のソースを読んでいたら、sigset_tって型が出てきたのだ。
で、どうも、これが/usr/include辺りにある、標準っぽいものらしいのだ。
で、man sigset_tなんてやっても出てこない。
うーむ・・・
迷宮入り。

それはいいとして、どうも、いわゆるpipeをしているらしいのだ。
で、そんなことはわからないので、その方面の資料を用意しなくてはならないようである。
やっぱ、subshell.cが答えのようである。



Web Name 「なし」
「ワニの話はよかった」

そうかな・・・ なんか「まる呑みにされた」感が薄いような気がしたんだけど。

1993年辺りから、まあ、その前からでもいいのだが、1990年代に展開された文化的鎖国による影響というものを考えるのであった。

「これを愛し、これを憎め」

マスメディアは年中それを教え込もうと試みる。
TBSの芸能ニュースなんか見ていると、それがよくわかる。

「これを愛し、これを憎め」

これがマスコミの都合によるものが実に大きい。
それが始まったのは、久米広のニュース辺りかも知れない。
本来、報道とは事実のみを伝えるべきなのだが、視聴者がどうそれを解釈するかにも介入するわけだ。
「どういう印象を与えるか?」

だから、フジテレビのニュースなんかで、連中が明らかに大衆操作を行いたい時には、SEが入る。SEといっても、システム・エンジニアではなく、「効果音」の方だ。

今まで、その辺の演出について意識して見ていたことは少ないんじゃないのかな?

「沖縄を愛し、北海道を憎め」
なんてのは、最近行われたものだ。だもんで、北海道民は、かなり迷惑しているわけだ。宗男ってのと、宗男ハウスってものと。
この前、NHKのAMの第1放送を聞いていたら、「よさこい・ソーラン祭り」という、よくわからない祭りのニュースをやっていて、現代的にアレンジしたソーラン節がかかっていた。
本来、それはBad イメージのものだが、それであっても利用しなくてはならないという、皮肉な状況がそこにある。

「これを愛し、jこれを憎め」

で、これまであまりにも露骨にそれを行って来ていて、手口がバレてきた関係で、連中は方法を変えている。
今までは、売れることだけを目的として、ただ単に、意味不明に、闇雲に、不条理なまでに私を批判するものをピックアップして来ていたが、最初から私派であるものを囲いこむことにしているようだ。
だから、私をヨイショして、持ち上げているうちに、力がついてくると、それをテレビ化したりして、自分等の側に囲いこんでいく・・・ というわけだ。
one pieceであるとか、レイブであるとか、まあ、2ちゃんねるなんかは、そもそも模倣であるわけだが、マスコミがピックアップするようになってから、私の批判の方が増えているわけだ。実際、誘導を目的とした、マスコミ関係者の発言もそこにあるだろう。
そういうのは、不条理なもので大体の判別はできるだろう。

そんでもって、モーリー・ロバートソンなわけだ。

彼は、何年か前は「魂のフィードバックが・・・」とか言っているような、実にアブナイ人物だった。

「盲目的な怒り」を利用するという試みでもある。
とにかく、意味と方向とを度外視し、とりあえず、慢性的なストレス状態を作り上げ、常に怒っているようにする。
そして、対象を与える・・・

ジョージ・オーウエル「1984」に出てくる「3分間憎悪」を連想する。

「これを愛し、これを憎め」

それには、連中が推奨する、理想的な人物像のモデルも用意される。

スマップ、ジャニーズ事務所がらみ、小泉、etc.


「これを愛し、これを憎め」

Beast Machine Experiments、その前は、Nega Blast Powだったが、ずっと洋楽であると宣言している。
ゆえに、日本語で歌わないということで、やたら批判を受けた。
それは現在にも続いている。
しかし、現在の邦楽の曲のタイトルは、意味不明の英語ばかりだ。

「これを愛し、これを憎め」

そして、利用されるだけだってことには気が付くことがない。