2002年10月 27日日曜日
pm 1:05
そんで、まあ、秋らしくなって、肌寒いのである。
そのせいか、牛乳飲んだら、またもや下痢。
厳しい現実を思い知らされた気分である。
それはいいとして、現在、Red Hat 7.3を使っているのだが、なんかjavaで文字化けを起こすのである。
Forteもそうだし、JBuilder7でもそうなのだ。
だから、嫌なんだけど、Windowsにインストールした。
で、なんか\DelphiやC++ Builderと違って、なんか使いにくいのである。
っていうか、私はIDEによるプログラミングというのが、どうも好きではないのだ。
そりゃ、ユーザーインターフェースとかの設定は楽だけど。
面倒なのだ。
まあ、慣れの問題かもしれないが。
「たばこをやめようと思うんですが、どうすればいいのでしょう?」
(14歳男性)
まず、禁煙運動が現在流行っているようであるが、それはかつて禁酒法が成立したことのあるアメリカで特に流行(龍虎ではない)しているわけである。
それについては、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義精神」にも書き著されているように、プロテスタンティズムにあるように思われる。
なんかこういう展開は、Linux Magazineのコラムのようだと、ふと思った。
いや、前にオープンソースを語るために、プロテスタンティズムの話をしているシーンがあったような気がしてね。
まあ、いいや。
ちょっとペダンチックにするのも、催眠効果があってよかろう。
ようするに、プロテスタンティズムってのは、大雑把に言うと、聖書に対して忠実であろうとするもののようで(この表現は、なんせ受売りだからだ)、当時のカトリックの免罪符を買わせることによって罪を浄めるということに反旗をひるがえし、そんなことでは罪から逃れることはできないとしたもの。
だから、自ずと禁欲的になるのだ。
で、それは資本主義と対立するのだが、それが上手いこと資本主義へと移って行くことを説明した本が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義精神」という本なのだ。
なんか、強迫観念と禁欲主義というのは、宗教的な盛り上がりをもたらすようである。
でも、マックス・ヴェーバーは、そもそも精神病になるくらい、宗教に対しての意識の強い人で、それからニーチェの影響を受けて、無神論になったわけであるから、そんなにあてにしない方がいい。
まあ、もちろん、この21世紀の現在と、当時では意識がかなり異なるのだが。
なんせ、現在においては、「救い」なんて言葉がナンセンスに見えるからだ。
死後の世界を信じている者は、狂人であるというのが、今日の常識であるし、ストリクトに聖書の定義をもちいるならば、死んだ後にも死者の世界があるという定義は聖書に反するのである。
まあ、いいや。
だもんで、そもそも、そういう国は禁欲的なのである。
モルモン教においては、酒もたばこも駄目で、ソルトレイクシティーでは、糖尿病で足の親指を切断した老人が杖をついて歩いているそうである。
その変わり、セックスはOKで、その昔は一夫多妻制だったことから、セックス教団として嫌われていたのである。
ちなみに、斎藤ユキはモルモン教徒であるし、日本でよく見かける「アナタハ、神ヲ信ジマスカ?」のジンガイはモルモン教の宣教師であるから、ケリを入れておこう。
そんなことはどうでもいい。
で、たばこをやめたいそうだが、やめたければやめるがいい。
かの偉大なる日本の哲学者、横山やすし氏は、息子の一八に、
「たばこ吸うなら、女の乳を吸え」
と、説いたそうである。
実に含蓄のある、人生哲学をそこに垣間見ることであろう。
つまり、たばこという対象は、ある種の性衝動であると同時に、大人に対してのエディプス的欲求であるわけである。
その満たされ得ぬ欲求の、そもそもの根本的原因は、成長期における精神不安、自らの社かいに対する葛藤などがあるわけである。
そのための解決索として、たばこというイコンに跪くのではなく、女性に対して向けるべきであるというわけである。
そして、この言葉の隠喩として、「女の乳を吸え」における、性衝動の認識、及び、自らの幼児性の認識をすべしというメッセージがダブルイメージとして浮かびあがる。
まったくもって、ハラショーである。
うむ。
だが、たばこを吸い続けるという行為も重要なのである。
自らの死への恐怖に打ち勝つ。
これである。
これを悟りという。
うむ。
だから、今日において、たばこは禅であるといえるだろう。
うむ。
なんのことやらわからなくなってきたわけである。
まあ、どうでもいいかな、と。
まあ、私としては、信仰告白して、神との和解なんてものはまったくする気がないので、なんか意味不明な禁煙運動には同意しないのである。
たしか、アメリカだぜ?
インディアの文化では、パイプによる喫煙は重要なものだったはずだ。
それこそ、アメリカの文化の否定につながると思うのだが。
で、今度はコーヒーは胃に悪いし、不眠症になるし、興奮状態になるからドーピングになるし、中毒症状にもなるってことで禁止になるってことも起こりうる。
なんか、根底にヨーロッパ文明の絶対的肯定がありそうに思えるのだ。
「西洋回帰」か。
まあ、これも一つの波だろうね。で、また東洋文明ブームが来るだろうし。
どうでもいいやね。
なし
なし
そんで、小泉は黄色くなって来ていて、そう長いことないわけである。
で、メキシコに行くらしいが、その時に乱気流で頭を強く打って即死するか、墜落してくたばるのでラッキー! なんて具合にいきゃいいが。
で、平蔵がパクりそうな話である。
これをパクったら、思いっきりかっぱらい呼ばわりするので、よろしく。
今日までに、政府の財政政策によって景気が回復したことがないそうである。
これまでの景気の回復は、設備投資などの「民間需要」によるものだった。
それと、公共投資である。
だから、現在、むちゃくちゃ無理なことを小泉はしているわけである。
で、その民間需要が伸びない原因は、日本のマスコミがやたら脅しを入れていることに原因がある。これはマスコミが逮捕を恐れて、国民を人質に取っていることによるものだ。
2000年問題しかり。
それから、ITバブル崩壊についても、BSデジタルの開始もあったし、うちのサイトで「これからはWeb TVの時代であり、TVメディアによる大衆操作の時代は終った」って書いたことによって、連中が、まあ、権力だが、権力の維持を考えて、ITバブルを意図的に崩壊させたわけである。で、今もしきりに、西友の時が特にそうだが、メールがどうのこうの言っているわけである。信憑性がない、と。
で、放送局は許認可制であるからして、利権もそこにからむ(including 賄賂)のは言うまでもない。
だから、フジテレビの社員の年収は1490万円ということも起こるわけだ。
それが許認可制度である。
んなこたどうでもいい。
マスコミの手によって、民需は盛りあがらないわけである。
で、それはいいとして、今日のポイントである。
公共投資は、これまでは道路を作るとか、ダムを作るとかに使われていたわけで、それがゼネコン汚職や、土地価格の異常な上昇につながり、経済成長をしていないのに、景気であるという、バブル時代があったわけである。で、島田紳助のような土地転がし芸能人は、その目的で政策インフレをするように説くわけだが、インフレは景気には逆効果である。
で、公共投資のやり方がいかんのだ。
だもんで、企業の設備投資に対しての補助金という形にすればいいのである。
そうすると、民需につながるわけである。
で、これを平蔵がパクるかどうかは、今後のお楽しみである。