2002年10月 16日水曜日
am 10:15
そんで、なにやら八木亜希子が結婚ということだそうで、まあ、おめでたい話である。
一時はどうしようかと思ったもんなあ。うむ。
と、いうわけで、危険が去った、さわやかな快晴の青空の下で、何亊もなかったかのように(誤解のないように言っておくが、一切何事もない!)、ほがらかに今日もコラムである。
今週は休みがあった関係で、まあ、かなり読めた方ではあるが、ADSL化があったので、まあ、とんとんとん、きょーん、とんとんとん、かぁー、よほおさはくふう、よほおさはああくふうう、って、よく考えたら、この歌は野良仕事のあとのセックスの歌だよね… って話ではない。
(なんじゃそりは)
渡辺照宏 「仏教」第ニ版
そんで、まあ、仏教についての本である。
で、サンスクリット語によって仏教は作られているということで、オウムとか、幸福の科学のような言葉がやたら出てくる。
そんで、その…
いわゆる「成仏」ということは、悟りを開くことを指していて、ただ死んじゃえば、則ち「仏」ってのは正しくないそうである。
だから、宜保愛子が出てきて説経垂れても、悟りは開かないよってことだそうである。
それから、悟りというのは何かというと、「人間というのは煩悩の塊で、色々なものに執着する」という理屈があって、それに捕われないことが悟りであるってのが、まず、一つ。
で、生きることに対しての執着ってのがあって、それが原因で輪廻をするって理屈で、その輪廻、まあ、繰りかえしをやめることが「悟り」ってことだそうである。
丹波哲朗はおそらく死んでからビックリするのだろう。
そんで、悟ると永遠の命を手にするという定義もあるようだが、それこそ生命への執着を示す。
って、ことは、つまり、「仏教なんてものはくだらねえぜ」って言っても悟りになりはしないか?
そんで、墓を立てるという行為も生への執着を表すわけである。
そんなものを立てたら、尚更成仏しないわけだ。
くたばった後に葬式をしたり、坊主呼んだり。
それこそ、ありのままの現実を受けいれていないことを意味する。
極めてナンセンスである。
ゆえに、Eddie KNKここにて仏教を破壊。
山田雅重「アメリカ人に通じない英語」
これは、この前の「まあ!」で取りあげているのだが、まあ、面白い本である。
この本は続編で、前作「アメリカ人の知らない英語」という本も出ているそうである。
廣井脩「流言とデマの社会学」
この本は、流言とデマの発生のメカニズムと現象例の本であるのだけれども、最初、俺について言っているようなのだが、徐々にマスコミが如何に外道であるかわかって来た関係で方向が変わって行く姿が描かれている。
平成13年に出ているということは、2001年である。
だから、この間に2000年問題とかあったわけである。
うむ。
筒井康隆「文学部唯野教授のサブ・テキスト」
この本は、今までの速読の最高速度40分を記録した本である。
良くも、悪くも。
でも、私も年中同様の被害を受けているから、なんとなく、気持ちはわかるな。筒井氏の。
内田義彦「資本論の世界」
で、これは東大の教授らしき人物による、いわゆるカール・マルクス(実にネガティブな男だ!)の「資本論」の解説なのである。
1966年のことである。
ものすごく手抜きな作りで、その当時NHKで放送した講議の原稿っちゅうか、テープなのだが、それを若干加筆修正したというもの。
それは、いいとして…
まあ、この現代において、まだマルクスを信じている者は少ないだろうけども、カール・マルクスのトリックには気がついているだるうか?
念のため。
テーゼ:「この世に労働者でない者は存在しない」
これは成立するだろう。
会社の社長が労働を一切しないわけがない。そんで、会社の役員で、出資していれば、倒産した時には、自らが出資した分の責任を負うからである。
そして、同時に、
テーゼ:「この世に資本家でない者はいない」
実は、これも成立するのである。
元に、労働者は、自らの労働力を資本として、それを会社などに提供して、その代価として、賃金を貰うからである。
これは、つまり、「商行為の成立」も意味するわけである。
と、いうことで、三段論法になるわけだ。
つまり、イコールで結べるわけである。
そうすると、カール・マルクスのロジックだと、逆転してしまうし、同時に、ロジックが崩壊するのである。
そこで注目すべきところはなにか?
「商行為」ということなのだ。
あ、だから、労働者も労働力という資本を提供することによって、会社に資本参加しているってこと。
そこんとこOK?
じゃ、話を進める。
だから、会社と会社との取り引きも、まあ、これは商行為のことだけども、これも「労働に対しての代価」であると解釈できるわけだ。
商品という労働に対して、代金という賃金を提供するという。
でしょ?
そうすると、マルクスのロジックは成立しないのである。
いや、なんせ、カール・マルクスは暴力的に資本家と労働者に分類するからね。まるでゼノンのパラドクスのような詭弁だ。
で、話をもどすけど、会社と会社の取り引きの場合になると、なんと、逆転してしまうんだよね。
労働者の方が搾取していることになるのだ。
なんせ、商品からもうけを出さなくてはならないからだ。
これは代表的なマルクス・パラドクスの一例である。
そんで、結局のところ、資本は分配されているわけである。
めぐり、めぐってである。
だから、後々、ブルジョワ的なんてな言われ方をしたのだが、アダム・スミスが合っているのである。
で、本来、注目すべきなのは、商行為のメカニズムについてなのだ。
まあ、需要と供給ってことも含まれるけども。
各自で考えよう。
ようするに、ある一方が目立つように強調したものだ。だから、手品で片手に持ったハンカチを強調している間に、目立たせていない方の手で、ゼンジー北京言うところの「ちょっとごにょごにょするよ」をしているというわけである。
で、これは1993年に私が考えたもので、これが実は私のデビュー作なのである。
共産主義の破壊が。
守屋洋「孫子の兵法」
いわゆる「孫子の兵法」の日本語訳である。
まあ、古典であるがゆえに、今日では当たり前のものとなっているようなものばかりである。
「敵を知って、己を知る」であるとか。
当たり前でしょ?
だもんで、偵察機なんてものがあるわけで。
だもんで、まあ、基本的なことばかりである。
笹沢佐保「木枯し紋次朗 四:無縁仏に明日を見た」
まあ、これは、私個人の好みである。
無宿渡世の渡り鳥である。
西部劇も好きなのだ。
なんか、通じるものがあるのである。
再放送を何度も見たし、まあ、はまってしまったんだよな。うむ。
浅川博忠「人間小泉純一郎」
ヨイショ本である。
なんか面白いデータはないもんかと思って読んだのだが、「郵政省解体論」ほどのドツボはなかった。
つまんない本である。
ロバート・ハリス「エグザイルス」
この本は実に面白い。
ビートニクであると言ってもいいくらいである。
最初、なんか気取ったおっさんというイメージがあったのだが、とんでもない。
あっという間に尊敬する人物である。
モーリー・ロバートソン(政治家)と雲泥の差である。
この本は読むべきである。
石原慎太郎「大陽の季節」
これは、ばかうけ。
マジに、読むとゲラゲラ笑うことだろう。
なんつうか、当時、これが不良だったんだろうってのが、なんか、その、やたらもったいつけているんで、面白いのなんの。
で、口調が次郎長一家なんだよな…
で、片岡千恵蔵の「七つの顏を持つ男だぜ」(本当にタイトルに「だぜ」がついているのだ)のようなギャング(ぷっ!)のセンスも入っている。
そして、この作者は性的倒錯者で、明らかにおかしい。
早い話が変態なのだ。
だから、読むと、「え! この人、こんなこと考えながらエッチしてんの?」に驚くことだろう。
で、昭和9年生まれということは、終戦時は中学生くらいなわけで、軍国教育そのものだったわけである。
だから、街をフラフラ歩いていると、警官がやって来て、グーでなぐり、「ばかもん! 貴様は兵隊さんが戦地で闘っているというのに!」といって、ゲートルという、まあ、奉戴みたいなものをちゃんと足に巻くように説経して行く姿を、当然のものであると考えるような育ち方をしたのだろう。
早い話が、精神的戦争後遺症である。
だから、現在、ドイツでも、同様の現象がおこっているのだ。
なんせ、そういったカウンセリングが行なわれるようになったのは、ベトナム以後だからだ。
湾岸戦争の時にも、それは問題になった。
で、そのムシャクシャを女に対して八つ当たりしているシーンが多い。
だから、彼にとっては、恋愛も勝負事なのだ。
で、当時は青春の代弁者というスタンスだったようだが、今日の姿を見てもわかるように、権力指向はこの当時からある。
しかし、なぜ、この作品が、当時の芥川賞になったのか、正直わからないのである。
読むと、同じ気持ちになるだろう。
伊吹卓「なぜ売れるのか」
商売の仕方の本である。
内容としては、苦情をよく聞き、改善しろということと、着眼点(この辺がうやむやなのだが)であるということが延々書いてある。
別に、マーケティングのことは書いていない。
藤本憲幸「自分の本を出しなさい」
要点はケツの方の10ページばかしで、あとは、この人のパターンの体験談で占めている。
そう、「あの」、熟睡短眠法の人だ。
だから、気合と根性で起きているってことと、「慣れ」が秘結で、ヨガの呼吸法で眠けを覚ませってな、例のアレである。
うむ。
だから、作者名を考えずに、パラパラ読んでいて、あれ? ヨガの話が出てきたぞ? って思ったら、この人である可能性が高い。
だから、缶入酸素でも買って来よう。
なし
なし
そんで、まあ、もう話題は終ってしまっているのだが、小泉の「北朝鮮はろくでもない」発言について。
ニュース番組で、60歳のアメリカの元軍人と結婚して、事故死とか、冬の海で泳いで
水死とか、そういうところをアピールして、殺したとは言わないで起きながらも、そういう疑いがあるように、報道しておいて、である。
で、小泉は小泉で、俺になんか言いがかりをふっかけりゃいいだろうって思って、「第三者の引用」とか言うわけである。
マスコミも小泉も、どちらも姑息な奴であることは、まあ、お分かりであろう。