2002年10月 13日日曜日
pm 15:15
tp、いうわけで、今日は「報道2001」を見た後、いつのまにか寝てしまっていたので、まあ、あんまり世間のことは知らないのであった。
うむ。
「幼い頃に父親から性的虐待を受けて、男性に対して恐怖心をいだき、中々思うように付き合えません」
(10万67歳女性)
そもそも、人間というものはマシーンである。
こういう話がある。
「ねえ、ねえ、ちょいとお兄さん、いい写真あるよ」
「え? どんなの」
「ほら」
そうすると、なにやら抱きあっているような写真が朧ろげながら写っている…
「買った」
で、よく中身を確かめると、相撲取りが相撲をしている写真だったりする…
だから、ある種の曲線に対して、女性らしさを、その脳味噌は見出したわけである。
おわかりであろうか?
ゆえに、人間というものが、愛であるとか、恋であるとかと思っているものは、実のところ、深層心理というよりも、プリミティブば形での、脳味噌による機械的な反応なのである。
ロールシャッハテストなんかだと、まあ、「これはどう見えますか?」「クモのように見えます」なんてなことをやるわけだけども、これとは微妙に違う。それは抽象定義の仕方を見るのだ。
だから、まあ、愛こそが真理であるなどということはないわけである。
食慾、所有欲、それらと同じものである。
いずれにしろ、願望を満たすことに目的はあるわけである。
で、その定義の仕方にゆがみが生じることが問題ということになるわけだ。
うむ。
で、性についての一般的なる定義、まあ、「ふしだら」、「インモラル」であるということの定義が、禁止が与えられるということなのだが、それが、まあ、この人の障害となっているわけであろう。
だけど、「それ」は単なる「器管」であり、別に神聖なものでもなければ、神との交信をするためのアンテナなんてものでもないわけである。
うむ。
aそれかr、愛というものも、神聖なものでもなければ、真理でもないわけである。
だもんで、性同一性障害なんてものが流行りのようであるが、あれは逆に、妙なこだわりだと思うね。
頭の中ではエッチなことがうごめいているのに、「それはいけないことだわ」ってことを考えて、かえって、そのことばかり考える。
で、「私は実は男になりたいんだわ」なんてなことを考えるわけだが、
それは男性を求めているということで、ある意味で、油断だ男根崇拝を示していると言える。
中に入れるか、それとも、所有するか。
ゆえに、そこで重要となるのはなにか?
「本来の自己とはなにか」ということである。
世の中には、あらゆるノイズで満ちている。
それらのノイズを無視して、自分とはなにかを考える… のはやめて、頭を空っぽにして、脳味噌の赴くままに生きるがよろしい。
無為自然がmuy bienである。
うむ。
で、「救い」なんてものはなく、実のところ、悩むのに飽きるきっかけを手にしただけだと思うのだ。
だもんで、結局、その…
悟りもへったくれもないよ、ということである。
うむ。
アンドレ・ブルトンの、話を盛りあげる方法を思い出すのである。
結局、あらゆる悩みは自分にわずらわされているということである。
なにかに対してコンプレックスを持つというのも、自己のいたらなさを痛感しているがゆえの裏返しであろう。
ならば、武士のように、剣術の修業をするが如くに、自らを律し、鍛えることこそが、あらゆる問題についての解決策である。
ゆえに、先人は学問の重要性を説くのである。
それは名誉や地位のためではない。
自己が鍛えられ、かつての自己よりも成長した姿というものは、その人間にとっての自信ともなるわけだ。
自らの意志によって、自らを鍛えるということが重要であり、誰かに命令されたり、誰かの必要のため、もしくは、ヒエラルキーのためであるとか、競争意識によるものは、邪である。
そんなところであろうか。
だから、結論は、
「くだらねえぜ」
である。
なし
なし
そんで、まあ、小泉は職権乱用で、結局、改革とは名ばかりで、実際にやっているのは、私利私欲を満たすということである。
これ、本当に、ヤツのパターンである。
で、まだ奴は、こういうエサをなげうっておけば、マスコミの方で持ちあげてくれると思っているようである。
実に、甘い。
そんで、明日はタイム・リミットであるわけだが、まあ、祝日ということで、おそらく、逃げるのであろう。
そんで、まあ、おそらくは、知らない人は驚くようなネタが、水曜日の"Viny"に登場する。
いや、大体は当日に書くのだが、Vinyは読んだ本の話であるからして、すぐに忘れちゃう… ってことはないのだが、まあ、テンションが低くなってしまうので、Vinyのコーナーだけは、本を読んですぐに書くことにしているのだ。
で、まあ、予告としては、「マルキシズムの破壊(完全版)」が登場する。
で、まあ、経済学なんかをやっている学生は、これで論文が書けるだろう。
その時には、きちんとCo AutherにEddie KNKの名前をつけること。