2002年10月 5日土曜日

am 10:15

そんで、nxt version 4.0.0がvectorに登場である。
そんで、拡張子が若干異なって、nxt400.tgzになっている。
よくわからないのだが。
もしかすると、パッケージが若干違うかもしれない。
そんで、論文だけど、販売は禁止するけども、個人で読むのはオッケーで、どうせなら、コピーして、学校のクラスでまいて、教師を困らせるくらいのことはしよう。
そんで、まあ、「この入学試験は無効だ!」ってことにも使えるだろう。
その技にもっていくには、かなりの技術が必要だが。
まあ、問題は「普及率」である。
かなり普及しているならば、このワイルドカードが使える。
「ちょっと待て、ちょっと待て!
その公理系のいいかげんな定義で決めるのか?」
のようにも使えるわけだ。
そんで、論駁の技については、このBeast Machine Experiments Official Websが役に立つのである。



「気功」がインチキであることの示し方


中国に「気」の概念が発生するのは、孔子の後のことである。
孔子といえば、「論語」であるわけだが、そこには「気」なんてものは扱われていない。
それから、孔子と論語については、封建主義においての処世術と、ルールを定めたものであり、孔子自体は、平和主義者ではなく、孔子は自分の出身国で争いをおこして、それに負けて、亡命生活をしている。
そんで、孔子の出身国の魯の国から、儒教の影響を受けた墨子が登場する。
この墨子は、孔子と違って、反戦主義、平和主義だった。
時は、春秋戦国時代である。
紀元前の話である。
そんで、この墨子が、中国で初めての宗教団体を作りだすのである。
で、このことを、ちょっと覚えておいてもらいたい。
そんで、「老子」である。
ここに、問題の「気」が登場するのである。
まあ、実際には、その老子の流れを汲む、荘子であるとしてもよいのだが…
「道可道非常道、名可名非常名」
「道の道とすべきは常の道にあらず、名の名とすべきは常の名にあらず」
と、いう冒頭の語句が示すように、陰陽道のような考え方なのである。
ここが始まりなのかどうかは知らないが。
で、万物は「有」と「無」から生じるというところからスタートする宇宙論を展開するわけである。
で、これはアナクシマンドロス(だったっけ?)が「万物の祖は水」と定義したのと、実は変わりない。
それで、「宇宙」と解釈するものがいるわけだが、アナクサゴラスが「「大陽は石であり、月は土である」と主張したわけではない。
よくわからない「渾沌(カオス)」のことを指し示している。
つまりは、考えがまとまっていない、抽象的なモヤモヤしたものである。
(こうハッキリ断言するので、批判的に思う人もいるかもしれないが、明らかにピントがあっていない話し方のパターンそのものなのだ。なんせ、根拠が示されないのだ。いわゆる「それはどうして?」「どうしても」である)
それで、興味深いのは、老子の、荘子の「道教」については、「無」から「有」が生じることもあると見なしている点である。
だから、それは「無」じゃないってことなのだが。
いわゆる、対象の混同である。
まあ、いいや。
そんで、この「有と無」を実現するエネルギーとして、「気」なるものが、原理として登場し、「道」なる道理を説くわけである。
「無為自然」って理屈と。
そんで、その老子の「道教」の流れを汲む荘子が、なにやら宗教的なことをやっていたようなのである。
ここで、墨子との共通点が出てくる。
その… 中国的な宗教のスタイルである。
で、まあ、かなりマイナーであるわけで、日本には伝わっていないように思えるのだが…
インドで始まり、中国に伝わってから、朝鮮を通過して、日本に入った仏教だとかの方が、結果としてメジャーになった。
しかし、まあ、なんか奇妙なことに、日本の神道と似たような部分が多い。
まあ、いいや。
その、荘子は、「その欲を虚くすれば、神はまさに入って舎らん。不潔を宗二せざればm神留りおらざん。人みな智を欲して、その智なるゆえんを索むるなきか。智か、智か。これお海外に投じて水から奪わるるなかれ/これを求むるものは、これにおるをえず。それ正人はこれを求むるなきや、故に能く虚無なり、虚無にして形なきものこれを道という」なんてな話が出てくるように、日本の神道の「お清め」に近いことをやっているのである。
いつも体を浄めていれば、神がやってくる…
の、ような。
で、そういう健康法をやり始めたわけである。
これが、「内気功」である。
で、「内気功」という分類は、「外気功」というものが出てきたから、こう呼ばれるに至ったわけである。
「外気功」というものが登場したのが、1970年代だそうである。
で、このように見てみると、まあ、その正体がなにかわかったようなものである。
既に、否定の内容もあるが、自分の手で十分「気功」を否定できるだけの手懸りがここにあることだろう。



なし



なし




そんで、西友ネタの続きなんだけど、ホントにマスコミはロクでもないって話である。
昨日(10月4日)の読売の朝刊に、またもや書いていたわけである。
北海道支社の三木という者が書いたものである。
まず、第1に、北海道「だけ」でやっていて、しかも、かなりの規模である「メーリングリスト」ってあんのかい?
それも、耳にピアスをした若い男から、普通のオッサン、主婦までもカバーするような、「メール」とやらが。
しかも、「北海道だけ」で。
うそつけってんだよ。
北海道だけをカバーする、そんな「メール」のメディアがあんなら教えてもらいたいもんである。
そんなものは、ありえない。
こういう詐欺に気をつけよう。
これも、マスメディアの手による、インターネットに対しての偉力業務妨害、もしくは、信用棄損行為である。
で、実際に、埼玉のケースにおいては、報道のあとに殺到したわけであるからして、マスメディアの手による報道被害は成立する。
なにが「対応の悪さ」だ!
図々しいにもほどがある!