2002年10月 4日金曜日
am 11:15
ここに文章が入る。
と、いうわけで、日銀の銀行株の買い上げ作戦を、ボロクソにけなして、株かの上昇を妨害したヘイゾー(単なる学内政治のためだけで閣僚やってるヤツ)は、なんかプロジェクトをスタートしたら、いきなし株価最安値。
そんなもんである。
そんで、読売なんか読むと、なんか今まであらゆるウソをついてきた関係で、支離滅裂な解釈になっている。
俺は、デフレじゃないと思っている。
だから、バブルという実態のない景気がくずれただけで、ここまで景気が悪くなった。
だから、実態経済をよくすることが重要なのだ。
だから、あの総裁選挙のときにも、小泉以外は「まずは体力をつけてから…」と、まともなことを言っていたのだが、フジテレビを中心とするマスコミの洗脳的な報道によって、小泉のアホが総理になったわけである。
で、実際に小泉のやっているのは、プラセボでしかないし、ついこの前、竹中平蔵が「報道2001」に出たときにも、プラセボで全体を勘違いさせることが有効な手であると、アホなことを言っていたわけである。
つまり、まったくの無策。
いらん。
そんで、リミットは10月14日である。
あまく見ても、平蔵プロジェクトのスタートの10月3日から考えての、10月17日である。
驚く方の「まあ」の話。
イタリアという国は、我々にとっては、イタリア料理や、ファッションなどだが、実は、イタリアは工業国なのだ。
しかし、日本ではあまりそのことが知られていない。
なぜかというと、中小企業が多いからだ。
で、イタリアというと、ローマが思い浮かぶわけだが、実のところ、孤立した存在なのだそうである。
それは、南と北では、格差があるからで、北部には工業がさかんであるのに対して、南部は貧しい。
そういう目で見ると、「ニューシネマパラダイス」なんて映画も、違って見えるだろう。
私の好きなジャック・タチの「ぼくのおじさん」という映画は、途中で工場のシーンが出てくるところから、おそらくは、北部であろう。
それで、イタリアというと、日本ではファシズムのことが思い浮かぶんじゃなかろうか。
いわゆる日独伊の頃である。
でも、そんなには浸透していなかったようである。
で、実のところ、工業国であるがゆえに、共産主義が結構流行ってたりするのである。
だもんで、私が何度か紹介したことのある、アレア(AREA)なんかは、結構、共産主義なのである。
困ったものである。
うむ…
P.F.Mは知らない。
そんで、イタリアの大学には入学試験がなく、やたら難しい卒業試験があるだけだそうである。
日本と、本当に、まったく逆なのである。
だから、イタリアでは、そんなにトラウマのこもったからみを受けなかったのだなあ…
一時期、yahooチャット全世界ツアーをやったことがあったものでね。
で、イタリアには、厳密の意味での、共通語である「イタリア語」というものがないそうである。
だもんで、NHKとかでやっているイタリア語講座は、ローマ辺り、もしくは、マスコミや政府で使われているものであるようである。
共通のイタリア語、共通のイタリア人像を作ろうとしているようだが、あまりうまくいっていないようである。
うむ。
と、いうわけで、
olivetti.comへのリンクである。
今も売っているのかどうか知らないけども、昔、Olivettiの486のノートPCというのが出ていたのだ。
実に、「イタリア」を感じさせるデザインで。
むかしは、おしゃれなデザインのパソコンは、すなわちMacだったのだが、OlivettiのノートPCを見たときには、「中々うい奴である」と思ったものである。
ちなみに、Olivettiといえば、世界的に有名なタイプライター屋であった。
しかし、御存じの通り、パソコンの時代であり、タイプライタを使う者はいないだろう。
うむ。
なし
なし
そんで、今日のメインである。
「まあ!」のネタがなくて、かなり苦労したのである。
色々本を読んで、その瞬間には驚くのだが、すっかり忘れてしまうんだよな…
まあ、いいや。
そんで、竹中平蔵ネタのために買った読売新聞に「あなたの原稿を、出版します」って公告が出ているのである。
どうしようかな…
やっぱ、プレミアをつけるために、自費出版でごく少数を販売しておきたいのだ。
なんせ、歴史的な本の初版本であるからして、後々、高値をつけるだろうから。
だから、可能な限り、少なく、である。
で、数少ないファンのため、である。
そして、もちろん。自分のために、でもある。
だから、手元に20冊くらい残して置こうと思う。
まあ、多分、売れないだろうから、20冊以上残るだろうけどね。
そんでも、今後も活動はしていくから、まあ、必ずノーベル賞は取るわけで、プレミアはつくだろう。
そんで、自費出版のあとで、まあ、「本にする原稿を…」にでも出してみるさね。
でも、自費出版にいくらかかるのかが問題だ。
うーむ…
まあ、もちろん、もうけは考えられない。
そんで、もちろん、後々のプレミアであるからして、無理して何十冊も買うべからずである。
そして、値を付けるもなにも、すべて私がノーベル賞をとる、もしくは、私の理論がアホそのもののアインシュタインを駆逐しつくすまで意味をなさないわけである。
その辺を覚悟していただく。
だから、すべて、私と、本の購入者の努力にかかっているのである。
だから、マルチにもならないのだ。
損する確率の方が高い。
だから、本当に、その本が値上がりすることよりも、純粋に、歴史的価値の方に注目してもらいたい。
なんて、まだ出版すると決まったわけではないのだが。
で、矛盾が生じるのだ。
わかる?
売れないと、私の理論は普及しない。
でも、売れると、その本の商品価値、まあ、値上がりはしない。
ゆえに、先に、希少本を出しておこう、と、いうわけである。
うむ。
そういうこと。
で、いくらかかるのかが問題である。
うーむ…